童謡爺さんのどうよう語り(5)

童謡爺さんのどうよう語り(第5話)
                             高橋育郎

 前回では、童謡が生まれたのには、やはりそれなりの下地ができていたという話をしたね。いきなり降って沸いたようにできたわけじゃないということなんだ。
 それにしても三重吉は、童謡というジャンルを確立させたのだからすごい。童謡は世界に誇る日本の文化といわしめるまでに高めたわけだ。
 日本の童謡のような歌のジャンルは、世界に例がないとまでいわれている。
 つまり大人が子供のことを思って、子供のための歌を作ったという意味でいっているので、イギリスでは「マザー・グース」というのがあって、白秋が「まざあ・ぐうす」として翻訳し、紹介しているんだが、あれは日本でいう「わらべうた」なんだ。だから大人が純粋に子供のためと思って作ったものとはちがうんだ。
 どうだろう。いまの子供たちは、そういった文化の恩恵を、恩恵として喜んで受け止めているだろうか。はなはだ疑問だね。
 もし、すなおに受け入れられ歌われていたら、世の中、こんなにまで殺伐とはしていないのじゃないかと思われてならないし、せっかくの文化資産を粗末にしているようで、もったいない話だと思うんだ。ここは大事な話だとおもう。勿論爺さんのような考えの人は大勢いる。ただ、時代のせいだといってしまえばそれまでだけど、大正ロマンのときのように、正面に力強くクローズアップされてはこないのだね。そりゃあ、あの頃とはだいぶ事情が違うからね。時代の趨勢というか流れには、なかなか抗しがたいものがあると思う。だからあの時代に帰れなんていうのは無理だ。それにしても近頃は、ますます安易になってきているようだね。批判がましくなってしまうが、面白くてとっつきやすいものにとびついてしまう。面白ければいいんだといった風潮がみられてしようがないんだ。芸術だの文化だの、そんなものはどうでもいいや、そういった類いの風潮だ。
 こうした傾向、社会的風潮はどんなものかな。憂慮すべき問題だと思うのだが。
 いうまでもなく芸術は、人間性を豊にして高めてくれるものだ。
 芸術は美の追求なんだ。美しいはいまどき、流行らない言葉だけど、美とはバランスなんだね。絵画然り、音楽もそうだ。バランスが崩れているところに美はないんだ。美の文字自体左右対称だ。仏教が真実を教えている。「かたよらないこころ」とね。心身の健康もこのバランスからくる。病気はバランスの崩れが引き起こすのだ。
 芸術性が失われてくると心はすさび、砂漠化してしまう。砂漠の中では生きられない。潤いがなければ人間も動物だって生きられはしない。そんなことは分かりきっていると思う。でも面倒くさがって、遠ざけている。その結果が残念ながら、見ての通りの現状だ。このままでいいのかと爺さんは思う。
 「心に潤いと緑を」と、こう叫ばずにはいられない。オアシスがほしいのだ。
 そこで、童謡は心のオアシスになるのではないか。こう信じて、真の童謡活動を継続していかねばならない。童謡爺さんはそう思っているんだ。
 近年は情操教育というのがなおざりにされているね。いま、教育再生の議論のなかでも、あまりとりあげられていないね。徳育もそうだ。徳育や情操教育は、人間形成の基本だと思う。もっと真剣に議論すべきだと思う。
 こんなこといっていると何だか昂揚してきちゃうね。では、次号では、わらべうたや大正の芸術童謡の中味をみていこう。(つづく)

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