童謡爺さんのどうよう語り(2)

童謡爺さんのどうよう語り(第2話)
                             高橋育郎

 童謡爺さんなんて、勝手なことをいっているが、変な男が出てきたものだ。一体、何者なんだと、思われた向きが多かったんじゃなかろうか。何事も順序というものがあって、自分が誰か身を明かす。自己紹介から始めんと、いかんね。

 そこで遅ればせながら、自己紹介をさせていただこう。

 昭和10年の早生まれ、だから昭和一ケタの最後の年代で、小学校は国民学校に変わっていた。私は小学校を卒業していない、純粋の国民学校生だ。いうならば戦争の落し子であって、極めて希少価値のある存在だと思っている。そんなわけで、かつて「実録小説 ああ国民学校」を著し、世に出した。

 音楽は「唱歌」が「音楽」に変わったものの、全くと言っていいほど、内容は相変わらず唱歌であって、楽典などは教えてもらえなかった。だから爺さんたちの年代は、音楽コンプレックス世代と呼ばれているのだ。音楽は苦手意識があって、つい敬遠してしまう。でも、歌うのは好きだから、カラオケが始まった時は、喜んで飛びついたものだ。爺だけじゃない。大方の中高年者がそうだった。

 私も例外ではなかったよ。でも、好きだったから高校になって、楽典の本を読んで、合唱団に入って、それから就職した先、国鉄でも合唱団に入って、実地体験を踏まえながら知識を身に付けたというわけなんだ。そこで、歌唱はもとより、指揮法、作詞作曲を身につけて行った。音楽学校とまでは当然いかないけれどね。

 国鉄現職中に、作品がレコード化されたり、団体旅行のお客さんの前で、歌のサービスをしたり、国鉄職員らしからぬ体験をしたのがもとで、退職後の第2の人生は、国鉄の引かれたレールから飛び出して、音楽の方へ乗り換えてしまったんだ。

 音楽イベントの仕事をやったのが始まりだった。でも、そこは順調とばかりはいかない。紆余曲折、試行錯誤があって、そのなかで、幸運なる偶然に出会えて、歌の道に入れることが出来たんだ。

 苦労?の末に掴んだ幸運か。忘れもしない平成4年12月「心のふるさとを歌う会」を旗揚げすることが出来た。そこには生涯現役の会や日本レクリエーション協会で生活余暇開発士の資格を取られた方の絶大な支援があった。自分ひとりの力じゃ絶対できっこない。人様のお陰は常に付いて回る。感謝、感謝。

 そしてほぼ同時に日本童謡協会に入会できた。いろんな歌が好きだけど、やはり童謡は自分に一番向いているなと思った。

 今年は,この会も15周年だ。ひとつ種が蒔かれ、芽が出ると、それが幹になり枝葉が拡がるもので、5,6年前に、朝霞市保育園、町屋のぬりえ美術館で、それぞれ童謡の会が発足し、更には昨年10月、JTBのカルチャー・サロンで「愛唱歌」の講座を始めるに至った。

 童謡作品も幾つくつか作り、童謡祭で歌われ、自己実現に邁進中というとろだね。でわ。 (つづく)

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