童謡爺さんのどうよう語り(1)

童謡爺さんのどうよう語り(第1話)
                             高橋育郎

 童謡爺じなんて、あまり聞きつけないよね。

 歌というと、どうしても歌のお姉さんとかお兄さんになるね。若さ溢れた元気いっぱいのイメージだよ。どっちもNHKだけど、そうそう、そういえば、昭和26年ころ歌のおばさんというのがあったな。松田トシと安西愛子のお二人が、「こどもの歌」をうたって、おおいに活躍していた。この時、童謡という言葉をやめて「こどもの歌」としたのだ。童謡に改革の風を吹かせたというところか。それはともかく、二人はそのとき、まだ若かったから、おばさんと呼ばれるのは抵抗があったんだ。ところがディレクターにおばさんになるまで続けてもらいたい番組にするからと言われて、まぁ納得したというわけだ。そのおばさんが終ったあとは、お姉さんやお兄さんに引き継がれ、いまに及んでいるわけだよ。

 わたしは今年(2007)72歳になった。いつのまにかなってしまったといった方が当たっている気がする。いずれにしても72歳といえば、爺じと呼んで歳に不足はなかろう。いや、不足ないどころか立派な爺じだ。いくら長寿時代になったといってもね。ただ日野原重明先生にいわせれば、まだまだ若いといわれてしまいそうだけど。
でも、いわれる前にわたしも若いつもりだ。それで、実のところ好きな歌をうたって、歌の会などやっているいうわけだ、勿論、歳の事などそんなに気にしているわけではない。(そりゃ、少しは気にしていますよ)

 さて、これから童謡噺を始めるにあたって、自己紹介から始めるのが穏当だろう。
できるだけ手短にいきたい。先ずは今の情況から。最初は平成4年に始めた「心のふるさとを歌う会」で、会場は中央区社会教育会館。これは人形町にある日本橋小学校と併設になっている。

 次ぎは、朝霞市の滝の根保育園で平成13年に始めた「めだかの学校・歌の会」

 3番目は、荒川区町屋のぬりえ美術館で平成14年に始めた「ぬりえ童謡の会」そして4番目が、JTBカルチャー・サロンの講座「愛唱歌をうたおう」ということで、四つの会がでそろったわけだ。

 かっこよく言わせて貰えば、みんな大事な大事な宝物というところかな。本当に。

 わたしが童謡に取りつかれたというか、そもそもの結びつきのルーツを、探求してみたい。なんて、大袈裟にいってはいるが、単純にただ、生まれつき歌が好きだったということに過ぎないとおもうよ。

 物心ついた3歳のとき、隣のおばさんが歌好きで、子供がいなかったせいもあったろうか、めっぽうわたしをかわいがってくれた。よく外出するおばさんだったが、家にいるときはわたしを呼んでくれて、童謡を教えてくれたり、絵本を読んでくれた。憶えた歌を羅列してみると「雀の学校」「アメフリ」「ヘイタイサン」「靴が鳴る」だった。だからこの歌を歌うと、そのあたりの情景が、ほんわかと思い出されてしまうのだ。

 思い出の中で、歌の記憶は特に強いもがあるね。メロディーというのは歌詞以上に憶えているものだ。何故だろうか。最近は脳の研究が一段とすすんできているから、この辺の仕組みは解明されると思うのだが。

 それから、わが家は、また引越しをした。4歳のとき、すでに3度目になった。この3度目も京浜東北線の赤羽駅近くだったのだ。ここでは国民学校(小学校)の3年生までいたから、わたしの第一のふるさとといっていいだろう。懐かしい思い出が充満して渦巻いている。ここでは、母から童謡を教えられた。憶えた歌を羅列してみると「雨降りお月」「赤い靴」「青い目の人形」「夕焼け小焼け」「お山の大将」「シャボン玉」「どんぐりころころ」「黄金虫」「からくり」「でんでん虫」「証城寺の狸ばやし」「桃太郎」「金太郎」だった。そして「一寸法師」は父からだった。まさにわたしの心のふるさとの歌である。
(つづく)

 

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